思い出の本たち。(星の王子さまについて
東京もついに梅雨ですねぇ。
結局出社拒否も2週間目に突入してしまったのである。
が、
心は元気!!!!!
立ち止まることがなかったから、こんなに自分と向き合う時間を取れて初めて、
「何もしない時間」「自由に使える豊富な時間」のありがたみを感じている日々でございます。
思えば子どものときから、風邪やインフルなどで学校を休んだけど元気がある!ってときは、
本を読むのが好きだった。
それも普段の読書とは違うワクワクを感じていた。
みんなそうなのかもしれないが、
なぜか休んでいる時にだけ読みたくなる本というものがわたしにはある。
それが、
今回の出社拒否期間も、自分に向き合う時間を過ごす中で、
無性にこの2つの本が読みたくなって、
速攻で『星の王子さま』を掘り出した。
読み返すのは10年ぶりくらいかもしれない。
当時高校生だったわたしが、親友のうつ病発症やら自身の謎の頭痛やらで学校を休みがちだった時、
(自分の体調がいいときは親友のところに行っていた)
「読んでみたい!」と切望して買い求めたのが『星の王子さま』だった。
実際に読んでみると、
なぜこれが名作なのか?良い話だけどそこまで良い話か?(失礼
と、ながらく賞賛されている理由がいまいち掴めなかったのを覚えている。
訳者・倉橋由美子さんがあとがきの中で、
「子供のように見える王子さまが主人公だとしても、だから子供向きのお話だということにはならず、これはあくまでも、大人が読むための小説なのです」
「子供のように見えるこの人物は、ある種の大人が自分の内部にひそんでいると信じている『反大人の自分』なのです」
とこの本について紹介していて、
じゃ、大人になったらもう一回読もう〜今はよくわかんね(ポイ
って感じで本棚にしまっていたのだ。(本当に失礼なやつだ。
時間ができた今、ものすごく読みたくなって開いたら。
もうどんどん入ってくる!
働きだした今だからこそ、この物語を通して何度も出てくる
「心で見ないと物事はよく見えない。大切なものは目に見えない」ということがよくわかる。
目には見えないとわかっていたはずなのに、
目に見えることで判断する(される)この社会。
そこで生きるわたしも気づかないうちに目で見えることで判断してしまっている。
そんな風に捉えるのはイヤだったはずなのに、いつのまにか飲み込まれている。
特にハッとしたのは、王子さまが星を旅する中で見つけた4番目の星、「ビジネスマンの星」での話。
星の数をひたすら忙しそうに数えて緻密な(と言っても足し算だが)計算して、
「たくさんの星を持っている」のが自慢のビジネスマン。
訪ねて来た人に見向きもせずひたすら計算に没頭する姿がまさに現代のビジネスマンと重なった。
王子さまが去り際に、
「ぼくは花を一本持っていて、毎日水をやっているし、火山も三つ持っているんだけど、一週間に一度は掃除をする。休火山の灰かきもする。わからないだろうけどね。ぼくが火山や花を持っていると、それが火山や花の役にも立つんだ。だけど、きみは星のために何の役にも立っていない・・・」
このあと、言われたビジネスマンは何も答えることができなかったと書いてあるのだけど、
そりゃそうだろうよ!!何も言えないわ。
何のために、っていうのが自分の虚栄心を満たすためなんだもん。
たくさん星を持っていようが、そんなのなんでもないのに。
でもこういうところにも、日々忙しく仕事に追われているとわかんなくなるんだ。
自分は何のために働いて来たんだろう。決して働きすぎて体調を崩すためではない。と思った。
バラと王子さまの出会い、狐と王子さまとの出会い、そして書き手と王子さまとの出会い。
「ありふれたもの」が出会いの中で、関係性を通して「どこにもない唯一の、特別なものになる」ということの素晴らしさ。
目で見ずに心で見ることの大切さを、大人になった今だからこそ気づかせてもらった。
純粋に見ようとすると攻撃してくる意地悪な人もいるけど、そんなの気にしなくていいんだ。
わたしが大切にしたいことはなんだ。
大切にしたいことを忘れない人になりたい。
人生がなんだか腑に落ちない。って人に、読んでいろんな発見をしてほしいと思う本だった。